2012年8月29日水曜日

国立病院

先週ですが同僚が猛烈な腹痛を訴え、病院へ一緒に行ってきました。
一年半が過ぎ、一番のカルチャーショックをウガンダの国立病院で受けました。

明らかに体調が悪いのに、とにかく大きい病院内をたらいまわし。ランチ中という理由で、患者を放置してどこかへいく医者、看護婦たち。病院内の薬局には薬がないからといって、病院外の薬局に必要な薬を患者が買出しにいかなくてはいけない。
病院に着いたのは10時半、治療を受けたのは18時。
急患だったら死んでると思う。
お金があれば、国立病院内にあるプライベート病院(?)で手厚い看護が受けられる。命はお金で買えるシステム。

国立の病院は医療費無料といわれているけど、検査でスキャンしたら●万シル、薬買ったら●万シル、と次から次へとお金を要求される。なので、体調が悪いと思っても、みんな病院へ行きたがらない。結果、発見が遅れて病気が悪化してしまう。

次の日にお見舞いへ。
看護婦がカルテを紛失したことが発覚。看護婦は、「アイム ビジー」の一言とカルテの束を置いてどこかへ。私ともう一人の友人とでカルテの山から同僚のものを探す。結局、まったく別の場所から発見。しかも、点滴うけてないのに、点滴したと勝手にカルテに書き込んいるという暴挙。

院内薬局で薬を待つ傍ら、次々と運ばれる交通事故とおぼしき患者さんたち。もう亡くなられていると思われる人はロビーの端に放置されていました。

問題は根が深く、医者や看護婦のモラルの問題だけではないようです。いち旅行者のような私が口出せるようなことではありませんが、医療現場のひどさにうなだれました。

同僚は、現在回復中です。

2012年8月21日火曜日

ド☆素人 キリマン登山日記④ 番外篇

最後の夜は、3100m地点にあるキャンプ地で過ごします。もう、みんなともお別れだと思うとしんみり。

次の日の朝、ガイドさん、ポーターさんたちが全員集まって、チップの儀式。そう、彼らの収入源はチップに拠るところが大きいのです。不正がないようにみんなの前で誰がいくらかということを読み上げます。このときの盛り上がりが最高潮。そして、彼らによるキリマンジャロの歌2本立て。
歌って踊っているときがイキイキしているあたり、本当にアフリカって音楽の国だなぁ~って思います。いくら感謝しても足りないくらいお世話になった6日間。彼らのプロフェッショナルな仕事ぶり、明るさ、気遣いなどなどキリマンジャロ登山の魅力はこのツアーを支えてくれた彼らとの時間に凝縮されています。一緒に登った友人、サポートしてくれたメンバーみんなに感謝です。
最後の最後まで、感動感激しっぱなしでした。

とはいうものの、話はここで終りません。
地上に降りてきたころ、ガイドさん、おもむろに質問。
「電話番号教えて。」
きたーーー!!!(笑)

山男 地上に降りれば アフリカ男子

「ウガンダの携帯やから、タンザニアじゃつながらないかもぉ~」なんてしらばっくれていましたが、あっさりバレて電話番号交換。次の日、お家へご招待していただくことになりました。

みんなで押しかけました、その名もキマリオ邸。
えらく奮発してくださったようで、お肉のスープに白ご飯がでるという力の入れよう。
そして!家の奥からでてきたのは、キリマンでお世話になったポーターさんたち!!彼らは兄弟だったのです。
ランチが終るころ、今度は近所でお茶でもしようと場所移動。
仕事が終って家庭でのんびりと過ごす彼らを見ていると、幸せそうだなーとしみじみ感じます。お家もこざっぱりしていて、電化製品もあり、ウガンダの一般家庭から見れば中の上といった感じ。コーラやモルトジュースを水で割ったりと、慎ましやかなのか嗜好なのかは謎ですが、そんな些細な日常も微笑ましかったです。最後は村の喫茶店で記念撮影。
キマリオ・ブラザーズ
お別れはさっぱりとしていて、それが心地よくもあり、もう会うことはないのかなぁと思うとまたしんみりともしてしまいます。
名残惜しいですが、これにて終了キリマン礼賛日記。
お付き合いありがとうございました。

2012年8月19日日曜日

ド☆素人 キリマン登山日記③ アタック~下山篇

24時真っ暗な中いよいよ出発。他のグループもたくさんいるので、渋滞前に早く出発したいとのこと。ヘッドライトを着けて呼吸を乱さないようにゆるりゆるりと歩き始めます。それまでも、ゆっくり歩いてきたのですが、ここでは一段とスローペース。やっぱり空気が薄いのか、それでも息苦しい。傾斜もきつく、足場も悪いため、どんどんメンバーとの距離が開いていきます。見かねたガイドさんにより、グループ分割。わたくし2軍に降格。1軍4名と2軍2名で再スタート。そのとき既に、荷物も持ってもらい手ぶらで歩くのみ。でも、しんどーい。

登山3日目のころ見かけた光景。西洋人グループが列をなして、呼吸法を実践。シューーーー、ハァーーっと音を出しているのをみて、ダースベーダやん。ププっ。♪ダースベーダーのテーマ曲♪を口ずさんでネタにしておりました。そしてアタック当日、まさにダースベーダーなわたし。ぷしゅーーーーー、はぁーーーっていいながら険しい顔で足を運ぶ。笑って、ごめんね。

立ち止まって、空を見ると星が近くて驚きます。飛行機が通ったのかと思うほど、眩しくて長く尾を引く流れ星を見たり、眼下に月を見たり、目の前の光景はいつもと違ってきます。

歩けども歩けども、一向に進んだ気がしないし、休憩も多くなっていきます。休憩の度に、ガイドさんがエナジードリンクを出してくれたり、生姜の紅茶を飲ませてくれたり、彼らの献身的な介護(!?)に頭が上がりません。道の途中にはダウンしてうずくまる人や下山を拒み泣き叫んでる人もちらほら。。。
わたしと同じようなペースで登る別グループのご年配白人男性。随分疲れた様子なのですが、ガイドさんが彼の手袋をとって冷たい手に息をかけて暖め励ましています。それだけでも涙しそうになったのですが、スワヒリ語の民謡のような優しいメロディーを歌っていて、涙。自分の臨終間際にはこの光景を思い浮かべそうです。

5000mを過ぎるころ、空が明るんできます。山すそから太陽が静かに昇ってじんわりと赤く、まだ欠けた月も浮かび、微かに星の光も残る空の景色。
気を取り直して、歩き続ける。前を見ると頂上の遠さに心折れるので、足元だけを見る。

歩くこと約8時間、ステラポイントという頂上に到着!ただこちらは、本当の頂上ではありません。天辺ではありますが、別にウフルピークという天辺の頂上があるのです。登っている途中、ステラを頂上ということにして、ウフルは黙殺してしまおうと思ったのですが、頂上に来るとまた少し元気が戻ってきて、歩くことに決定。
頂上から降りてくる1軍とも途中で出会い、抱き合う。こちらの1軍、超人ぷりを発揮し、頂上で熱唱するという偉業を成し遂げていたようです。いやぁ~恐るべし。そして、彼女たちはガイドたちの間でも伝説となりました。そこから歩くこと約1時間。今度こそ、キリマンジャロの頂点!
ウフルピーク
感動も頂点。
頂上付近には氷山や雪も残っています。真っ白な雲が遠い下の方にあって、白い雪、白い氷山、真っ蒼な空には白い月がぽっかり浮かんで、別の世界に来たみたい。随分遠いところへ来たもんだと、胸が熱くなりました。

登ったら後は下るだけ。9時間以上かけて登った道を一気に駆け下りるのですが、やっぱり足腰が弱っていて、ここでもゆっくり。そして、下り中盤、恐怖の腹痛。お腹をこわした模様。しかし、周辺はガレ場で身を隠す場所なし。。。理性で捻じ伏せる。ここでもガイドさんの献身的な介護によって、意識朦朧としたままキャンプ地へ。

夜中12時に出発し、9時頃登頂、キャンプに戻ってきたのは昼2時。仮眠を1時間ばかりとって、向う先は次のキャンプ。うひょ~。
3100mのキャンプ地まで一気に下る。到着したのは夜8時前。ほぼ丸一日歩いたわけです。そして、ガイドの皆様は休憩も仮眠もとることなく我々の介護をしてくれたわけです。。。頭が上がらない、足を向けて眠れないですね。

このようにして、キリマン登頂を達成することができました。
感謝。

3度のつもりでしたが、番外篇としてキリマンその後をお伝えしたいと思います。長くなりますが、どうぞよろしくお願いします。

ド☆素人 キリマン登山日記② 登山篇

キリマンジャロに登るルートは、いくつかあります。難易度もそれぞれ。今回私たちが登ったのはマチャメルートと呼ばれ、標高1800mからスタートして、4日間かけて標高4600m地点にあるキャンプへ。その後、アタック、下山という5泊6日です。
約5900mの山に登るときの心配はなんといっても高山病。体調、体質にもよりますが、早い人では3000mの地点で高山病を発症、嘔吐、頭痛などひどい症状に襲われてリタイアということがあります。対策は、ダイアモックスと呼ばれる高山病予防薬を服用、そしてマチャメルートには高度順応という登ってから一気に下るという悲しい行程が含まれています。そのような理由もあってかこのルートは登頂率が高いと言われています。

さて、つづき。
1日目、2日目と難なくクリア。ひたすら歩きつつ、道中カラオケ大会のような盛り上がりをみせるという余裕も披露。とはいっても、2日目のキャンプ地は既に3840m。富士山越え。初日のマイナスイオン・ハイキングコースから上がるにつれて、森が低木の林になり、林が岩場に変わって殺風景になっていきます。風景が変化していくのもマチャメルートの魅力のひとつ。そして、どんどん寒くなります。休憩すると寒くっていてもたってもいられません。

キャンプ地に着いたら、暖かいお湯を用意してくれるので顔を洗ったり身支度を整えて、ダイニングテントへディナーのため移動。夕食も暖かいスープからスタートするという心配りに感心、感激。
毎晩、メインガイドである山男オーガストさんによる次の日のブリーフィングと高山病チェックのため血中酸素と心拍数を計測。メンバー6人中5人が女性ということで、山男のたくましさとお茶目さに翻弄され心拍数の乱れが目立ちます。日が経つにつれて、みんな親密になり、わきあいあいとした楽しい夕の時間となりました。

一日三食しっかり食べて、よく歩き、よく歌うという愉快な登山。標高が上がると食欲が落ちるから今のうちにしっかり食べておかないとダメだよ、というアドバイスを鵜呑みにしてしっかりと食い溜めさせていただきました。

3日目。

この日は、高度順応のための登山。
3840mからスタートし、4200mのラヴァ・タワーへ。
浮かれてます
ここからはキリマンジャロの頂上が視界に収まります。4000mを越えるとやはり空気薄い感が否めませんが、感動。ランチ後はそのまま一気に下る! もったいないーーー !!!またも3860m地点のキャンプへ。高度的には出発からたった20mアップ。。。切ない。

4日目。
最も厳しい行程となる4日目。歩く距離もさることながら、岩場をよじ登るような場所。
20kgに及ぶ荷物をかついで登りつづけるポーターさんたち。
この日は、天候も崩れ雨の中を歩くことに。雨も時間と共に霰のようになり寒さで体力を消耗。息切れしつつもキャンプ地に到着しました。
この高さのキャンプでは顔を洗ったりする水が手に入らないので、夕食へ直行です。食後のブリーフィングで次の日のアタックについて説明。。。なんと23時起床24時出発。6~7時間かけて頂上へ向います。そのとき既に18時。睡眠時間ないやん!ということで慌ててテントへ。
テント内の寒さもこのあたりになると格別。すぐ出発できるように着れるものは全て着こんで寝袋で縮こまるのみ。雨に濡れたグローブや靴下は、テント内にひっかけて明日に備えます。寒くて寝れないかと思いきや、疲れもあって瞬殺(笑)

23時、ガイドによるミッドナイトコール?テントをガツガツ叩き揺らされて目を覚ます。思わず「グッドモーニング。。。」
テントの入口ファスナーは凍り付いているし、テント内に干していたグローブなんかも凍っています。寝袋からでたくなーいと駄々をこねたいところですが、軽食をすまして出発しなければいけません。緊張と眠気と寒気に襲われつつ、アタックへ向けてとうとう出発!

2012年8月17日金曜日

ド☆素人 キリマン登山日記① 準備~ハイキング篇

まず報告。8月11日、キリマンジャロ登頂しました!
万歳!!!
詳細は3度に分けてレポートします。お付き合いの程、よろしくお願いいたします。

アフリカ最高峰5895m。まるで登山隊しか挑戦できないんじゃないかと思わせる、空に浮かぶ山。ウガンダを出発するときから、興奮と緊張で久々に眠れぬ夜を過ごしてしまいました。旅行というより修行なんじゃない!?なんて声も。

8月6日、モシというキリマンジャロの麓に位置する町に入ります。空港から町に向う道すがら、聳え立つキリマンジャロが目に入るのですが。。。「あれ?雲??」「キリマンジャロです。」スケール感が周辺と違いすぎて、幻のよう。

旅行会社に到着後は早々に、荷造り。あらゆる登山グッズをレンタルすることができます。頂上付近は零下15℃ということなので、まさかウガンダから持ってくるわけにもいきません。ガイドさん同伴のもと、アドバイスを受けながらアレコレ物色。ドラ●エ旅立ち前の装備をととのえるような感覚で、これまた興奮。
清潔かつ有名どころが揃ってます。

サングラスもデザインいろいろ。 
タンザニアに手ぶらで行っても、大丈夫◎

とうとう登山初日。メンバーは6名。ウガンダ隊員4名とマラウィとナミビアから1名づつという構成。
マチャメ・ゲート 
そして、ガイドさん1名、アシスタント・ガイド2名、シェフ1名、ポーターさん19名、総勢29名という大所帯!大きな荷物はポーターさんが運んでくれるので、リュックにはお菓子と水と雨具だけというまさにハイキングな装い。登山道は、木々が生い茂る鬱蒼とした森。マイナスイオンをたんまり吸い込んで、お天気良し、気分良しで軽快。
歩くこと数時間、ランチタイム。キリマンで食べる料理は地上より美味しい、経験者は口を揃えて申します。なので、かなり期待。

どどーん

森の一角にお食事コーナー!?
テーブルクロスまでかけられて、ハイキングも貴族クラスでございます。
しかも山の中で魚を捌くシェフ。
パトリックさん
すげぇーーーー!を連呼。
料理が出来上がってくるまでティータイムを堪能し、運ばれてきたのはコチラ↓

・タンザニア産白身魚のソテー・カレースパイス風味
・ハーブ風味グリーン添え野菜
・大地の恵みフライドポテト 情熱のトマト添え

味、量、文句無し!★みっつ。
このようにして愉快で陽気でご機嫌なハイキングはスタートしたのでございます。

2012年8月6日月曜日

クラフトマーケット

日曜日に行われたMISH MASHでのクラフトマーケット、無事終えることができました。
約8グループが参加し、お庭の一角で販売しました。
早速、イヤリングを着けてくれたお客さん。

クラフトマーケットだけでなく、ジャンベ(アフリカンドラム)のライブやダンスのショーも行われて、たくさんのお客さんが集まっていました。

ジンジャショーとの違いは客層でしょうか。丁寧に商品を見てくれる人が多かったように感じます。また富裕層が多い…富裕層しかいないというのもかなり特殊な場所だったように思います。
まるでヨーロッパの一角のように西洋人が溢れかえる場所。外国の外国や~と不思議な気分。人が人を呼ぶというような、活気溢れる会場でした。

普段は直接買い手の顔や反応が見れない作り手ですが、こういう場にでると反応がダイレクトに返ってきます。また、同業者の商品や経験の高いグループの話も参考になること多々。
アクセサリーだけじゃくて、カゴやバッグが作りたいとか、展示を工夫しないといけないとか、実際に周りから学んだことを実践しようというエネルギーが今回一緒に参加したメンバーからびりびりと伝わってきました。 かなり刺激になった模様。
これからも継続して、出店して行こうという意思確認をメンバーとして、ご機嫌で帰りました。

未だ興奮冷めやらず。
そして!
明日からタンザニアへキリマンジャロ登山旅行へと旅立ちます。
これまた興奮。
10日間ほど留守にするため、音信不通、更新不可となりますが、心配無用。

素人キリマン登山奮闘記は後日おおくりいたします。

2012年8月4日土曜日

ネック・レス!?

新商品のご紹介。

こちら、シルク糸にビーズを編みこんだ3連ネックレスです。色合わせも様々。ブレスレットもあるのでお揃いで合わせていただけます。



商品の名前は、Triple Necklace。
なのですが、同僚から(写真の人ではありませんよ~。)綴りを指摘され修正
“Neckless”
“!?首なし”
夏の怪談じゃぁありませんか。
家帰って、首っ引きでもって調べましたよ。
正しくは、やっぱり
Necklace

こんな新商品を引っさげて、日曜日にはMISH MASHのクラフトマーケットに出展してきまーす。
では、御機嫌よう。

2012年8月1日水曜日

JINJA SHOW

早いもので8月突入!こちらは、相変わらずの穏やかな気候で8月だからといって暑くなるわけでもなく、代わり映えなく過ごしています。日本でもニュースになったというウガンダのエボラ出血熱は、感染者はでているものの悲惨な状況ではないのでご安心下さい。

さてはて、ご報告。
ウガンダではアグリカルチャー・ショーと呼ばれる展示会&お祭りが各地で催されます。読んで字のごとく、農業に関わる機械や技術を紹介したり、農作物を販売したりすることがメイン。なかでもJINJAという街で行われる年に一度の展示会はウガンダで最大規模といわれています。出展者も東アフリカ各地から集まってきます。農業祭とはいってもお祭りのようなもの、クラフト・エリアもあるらしいという噂を聞きつけ、今回この展示会にクラフトに関わる隊員有志が集まってブースを出展しました。なかなか商品を幅広く宣伝する機会がないので、これがチャンスとばかりにJICAに業務費申請をして補助金をいただき出展にこぎつけた次第です。
1週間、5つのグループが配属先のメンバーと共に交代制で当番し、販売、宣伝、お買い物に明け暮れてきました。
秀逸なビーズアクセサリー(手前)
商品解説中

いつもヌクヌクと日本人相手に商売をすることが多かったので、ウガンダ人の厳しいお財布事情が見えたこと、ターゲットとして定めていたムズング(白人旅行客)はモノを買わないという実態を目の当たりにしたことが大きな収穫でしょうか。モノをたくさーん買い込んでみんなに配るのはアジア人特有の文化だったのです。。。だけどウガンダお金持ち族は、お買い物好き。多少高くっても気前良く買ってくれます。そして、ウガンダの家族は多い!ので、アクセサリーを姉妹に買っていくわ、なんて言ってピアスを7つ購入なんてことも。彼らの購買意欲を刺激すれば、外人相手じゃなくってもスモールビジネスが成立するんじゃない!?なんていう新たなマーケットを発見。そのためには、今のデザインのままでは物足りない。。。ただ作ってるだけではいかん!ということを再確認です。

反省、成果はさておき、少しは触れておきたい裏話。
始まってしまえば、なんてことのなさそうな展示会。ですが、やはりここはウガンダです。平穏無事には進みません。ブース予約したけど、ブースの場所が当日になってもわからない。はたまたIDカードは当日になっても発行されず(最終日まで全員分揃わず)、行く度にゲートの前で係員とひと悶着。「ダイレクター呼べ!こらー!!」が常套句となってしまいました。
ショーの常連出展者曰く、「ディスオーガナイズ!」の一言。加えて、「去年はもっとひどかった。事務所の前で人が泣き叫んでたからね。10年。。。いや~15年くらい経ったら、スムーズに運営できるようになるんじゃない。」

15年後、東アフリカ一の展示会といえばJINJA SHOWと名実共に世界に名をとどろかせる日がくるのかこないのか。。。