2012年12月28日金曜日

クリスマス

年中行事の中でも最大のイベント、クリスマス。
10月くらいから“クリスマス”という単語を聞くようになり、みんながそわそわし始め、巷にニワトリが増え始めます。
地元カワンダで迎える初めてのクリスマス。

クリスマスは、あっちこっちのお家を訪問してきました。あるときはお呼ばれし、あるときは行きたい!と催促。

同僚でもありプライベートでも本当にお世話になったホープ。お家で朝食をご馳走になり、教会に行き、ランチもまたもやご馳走になるというスペシャルコースに招待してもらいました。もともと姉さんタイプの彼女ですが、お家でもテキパキ、キビキビ働いている姿を見ていると、一人前の女性なんだなぁと改めて見直しました。
その彼女が、朝から仕込みをして作ってくれたご馳走がこちらです。
カロ、マトケ、ライスに始まり、さばきたてチキンのソースにビーフのソース、各種お野菜とテーブルいっぱいのお料理です。もちろん美味!

最後は、記念写真。
左の方はフィアンセ。来年には式を挙げるそうです。参列したかったなぁ。

次の日に訪ねたのは、フラビア宅。
フラビアは現在大学生。わたしがウガンダに来たばかりの頃、彼女も養蚕センターで進学までの数ヶ月ボランティアとして一緒に働いていました。とにかく働き者で尚且つ、ずば抜けて優秀、人柄も落ち着いている。彼女のおかげで当初のウガンダ生活を乗り切れたといっても過言ではない、心のオアシスだったのです。その後、進学して1年半以上会っていなかったのですがクリスマス休暇で実家に戻りセンターに遊びに来てくれました。
そんな彼女のご実家へ朝食に招待してもらいました。

訪ねて、びっくり。
通勤途中、毎朝のように出会い笑顔で挨拶してくれるおじいちゃんが彼女のお父さんだったということをこの日知る。この人柄はここから生まれてるのか、、、と勝手に納得。
家族写真。
左端がフラビアです。
きっと素敵な女性になるんだろうなぁと思います。立派になった姿を見たいです。

そして、そして、
以前に紹介したエリアスさんです。彼は結婚して、子供もできました!いつもは、ずぅーーーーーーーーーっと遠くに離れて住んでいる奥さんと子供なのですが、クリスマスはみんなで揃ってお祝い。
ウガンダでは夫婦とはいえ、それぞれが仕事を持っていると一緒に住む事は難しいものです。稼がないといけないし、新しい土地で仕事を探すのも難しいし。家族が顔を合わせて過ごす貴重な時間。
ウガンダの家族、夫婦、親子、恋人、いつもとは違う顔や日常の暮らしっぷりを覗いてきました。

ホープとは今朝お別れ。
里帰りするということで、お見送りしてきました。

わたしも荷造りが済み、明日カワンダを引き上げカンパラへ引越しです。

好きな人たちが住んでいるカワンダ。
第二の故郷です。

2012年12月24日月曜日

アフリカン

大型ショッピングモールでお買い物。
入口近くには荷物一時預かり所があります。
他所のショッピング袋はここにお預け。

私のショッピングバッグにはマイケル・ジャクソンの本が一冊。
それを見た係りの一言。
“Are you going to read our history?”
“うっ、ぅん。”

マイケル→黒人→アフリカ人→ウガンダ人→我等の仲間

という図式?

それ以前にも、
アメリカ大統領オバマ氏が再当選した際に身内のことのように喜びまくる同僚を目にしました。

オバマ氏の先祖を辿ればケニア人。日頃はケニア人にどことなくコンプレックスを抱いているかに見えるウガンダ人も、こんなときにはケニアだろうがウガンダだろうが同じアフリカ人だー!それどころか同じ東アフリカじゃん!!!とばかりに大興奮でありました。

しかも
“He speaks English very well !!!”
だなんてお褒めの言葉まで。。。
一応確認までに、オバマさんはアメリカ生まれアメリカ育ちですよ~とは囁いておきました。

そんなこんなで世界で活躍する黒人は、みんな彼らのヒーローです。遠くても、離れていても we are the one~♪なわけですね。

2012年12月21日金曜日

たのしみ

染色のときのたのしみ。

染色が終ったら、七輪の残り火でカソーリを焼く。
カソーリはメイズのこと。日本で食べる黄色いコーンとは違って白っぽくて甘味はなし。
だけど、モソモソ噛みしめているとクセになる味わい深い食べ物です。

12月はカソーリの収穫期。ベストシーズンです。
道端でも売っているけど、とりたてを焼いて食べると瑞々しくて格別。
砂糖がめいっぱい入った甘い、いや甘ったるいチャイと一緒に遅めのランチとして、いただきまーす。

2012年12月18日火曜日

たくさんの最後

帰国まで、あと17日。

やることなすこと、これが最後という感覚がついて回ります。

週末に今年最後、そして、わたしにとってはウガンダで最後のクラフトマーケットへ参加してきました。そして、今日は送別会。
これぞ、まさにお別れの予感。

なにより嬉しかったのは、メンバーが自主企画してくれたこと。最終的にはミニストリーからお偉方が出席するということで予算を組んでいただいたようですが、みんなからお金を集めて自分たちでパーティーを運営しようとしてくれたことに嬉しさ倍増です。

朝早くから調理が始まり、プログラムを組んで、踊って歌って。。。
全力で、最大、最高のパーティーをしてもらいました。

感謝はいくらあっても足りません。

好きなひとたちとの出会いは、最後にしたくないなぁと思います。

2012年12月14日金曜日

工房探訪

クラフトマーケットに出店していると、いろんな作り手に出会います。
中でも陶芸のグループで、とっても素敵な商品を作っているひとたちがいるので、彼らの展示会と工房を見学にいってきました。

展示会はカンパラの閑静な住宅街にあるムズングのお家で。
こちら写真なし。。。
お買い物に熱中しておりました。

で、その後カンパラから1時間半くらいの場所にある工房へと案内していただきました。

メインロードから村エリアに入ると看板出現。
しっかりした門構えのお屋敷です。
NAKAGWA POTTERY
では、早速中の様子を。
こちら、電動ろくろ。
 こちら、電気窯。
こちら、焼待ちの商品。
こちら、野焼き?

という具合です。
土はウガンダのもの、釉薬には蟻塚の土を使い赤色、炭で燻して黒、ドイツから輸入した釉薬で白、地色の茶。この4色でアフリカンだけど洗練された、でも素朴な(あぁ解説、難しいぃぃぃ。)要は、素敵な絵付けがされています。形も大らかでとっても素敵。
たくさん持って帰りたいけど、重いし、割れるし、、、結果、自分用!ブログご愛読のみなさま、申し訳ありません。恨みを買わない為にも、写真は控えさせていただきます。お土産は、別ものをご用意させていただきますので、ご容赦下さい。

さて、陶芸とはうって変わって染織だって捨てたもんではありません。
数ヶ月前になりますが、織物工房も見学に行ってきました。
ついでに、こちらもご紹介。

カンパラから乗り合いバスで3時間くらいのJINJAという場所。
ナイル川の源流があることで有名です。

完全な村エリアに工房あり。
ショールームもあって大興奮!

この工房の魅力は、
な、な、な、な、なんと
糸を選んで自分だけの商品を作ってもらえるのです。ウットリ。
だがしかし、
糸を選び始めたころスタッフから一声。
“今、糸が足りないからオーダーは受け付けられません。”
なにぃーーーー!!!そんなこともあろうかと思い、事前に連絡してたのに!!!!!

とはいえ、ここで引き下がらないのが熟年ボランティア。

“前日にオーダーできるか電話しましたよね!?何でも作れるって言いましたよね!??
なんで!!!!!おかしいやん。
っていうか、ここまで来るのすごい遠いんやけど、交通費払ってくれるん???”

と、このようなやり取りを繰りかえし、
期限までに糸が入荷したら、作ってあげてもいいよ。(注:上から目線。)だけど、問い合わせの電話はしないで。

こんな条件の下、オーダーだけねじ込んで帰りました。

帰り道、どうせ作らへんやろうな~と友人と意見を交わし、諦めておりました。

ところが!
先日、友人のところに電話があり、オーダーのスカーフ出来上がったので送ります。との連絡が!
やればできるんやん。
てっきり手に入らないと思い、ケニアに行く友人にスカーフのお遣い頼んだのに。
既に何をオーダーしたかも記憶になし。

カラフル、マルチカラーのスカーフが手元に届きました。
お土産のつもりだったけど。。。欲しい。
ウガンダ産スカーフは先着●名様まで、そして、ケニア産スカーフは先着1●名様までお渡しできるかと思います。
わたしの気の変わらないうちが良いかと。

まだまだ秘蔵のクラフトあり。
ベッドの上に広げて、一人にやけております。

2012年12月7日金曜日

ルームメイト

旅行から帰り、変わったこと。

同居人が増えていた。
中国から2人のおじさんが引越してきました。現在、間借りしているゲストハウスには、わたし含め3人のアジア人が住んでおります。
近隣のひとたちは、
“マサコの親族がきた”と信じきっています。

夕方になると
ドアをノックする音。
バトミントンしよー。
とお誘いがかかります。

近所の子供の羨望の眼差しを無視して
夕暮れ時、小一時間バトミントンに興じる。

その後、本格中華が食卓に並び一緒にご馳走になる。

先日の献立は、牛の足煮込み。うまし。
蹄、食べました。
コラーゲンたっぷり。
どこで手に入れたのか謎。

今晩は、豚肉とジャガイモ煮込み。うまし。
白ご飯が日本米みたいで、ちょっと感動。
水稲米と思われる。
どこで手に入れたのか、本気で知りたいが、やはり謎。

お二人とも、英語がお得意ではありません。
質問の答えは本人から聞きだせず、
ハウスキーパーさんに聞いてみたところ、
2年間ウガンダに滞在されるそうです。1年という説もあり。

ということは。。。

帰国までの1ヶ月、わたし、まさかの、中華三昧です!

こんなことになろうとは、誰が予想したでしょうか。
ウガンダ・チャイナタウンがカワンダに出現。
今なら一泊、たった20,000シル(夕食中華含む)でゲストハウスにお泊りいただけます。

*1㌦=2,600シル 2012年12月現在

2012年12月4日火曜日

そうだエチオピアへいこう ~エピローグ~

ラリベラを経ち、首都アディスアベバへ。

最後の日は、ドル札を握りしめお買い物へ!
この国、クラフトの宝庫なのです。
食べて良し、見て良し、買って良し。
言うことなしです。

どうしても寄っておきたかったお店がひとつ。
サバハールという織物を専門に扱うお店です。
エチオピアの主要なテキスタイルは織物です。この伝統を生かして、カナダ人のオーナーが魅力的な商品を生み出しています。
実は、このお店にウガンダのシルク糸を輸出していました。
でも、過去形。
シルクの出荷が滞り、うまくマネージメントが行われなかったために今は取引が停止しています。

市内から離れたところに工房兼お店があります。
この工房では、近隣から職員が通い織物と染色をおこなっています。
ここを中心としてトレーニングを行い各村々にグループを組織し、糸などマテリアルを工房外で生産する。それを買い取り、工房で商品を作るという仕組みのようです。

言うは易く行なうは難し

アフリカの地で作り手の意識を高めて、品質を維持し商品を作り続けることの大変さを思うと気が遠くなります。ましてや、近隣だけでなく遠方の生産者もいるわけです。

フェアトレードというと背景の情報が先立ち商品自体への評価が後回しになりがちですが、ここではそんなことを抜きにして欲しいと思える商品が販売されています。洗練された商品の数々にうっとり。

憧れと敬意をもって、お話を伺いました。

最後には、“これからもウガンダから糸を買いたいので、連絡を待っています。”とメッセージを言付かってきました。
ウガンダの生産者はまだまだ発展途上です。そんな中、長い目で生産者の成長を見守ってくれる会社があることが彼らにとって本当のチャンスなのだと思います。
問題は、、、彼らがこのチャンスを自覚していないことでしょうか。目先の利益に走って、取引を台無しにしてしまうことが残念です。
ウガンダの工場の人を連れてきたいな~、しみじみ。

そんなこんなで、その後もあちこち立ち寄り、久々に買い物魂に火がつき、お土産を買い込んできました。

旅行帰りはいつもそうですが、
あぁこの国に住みたかったなぁと思うことしきりです。

そして、イメージしてみる。。。もし、エチオピアに派遣されていたら、

インジェラとワット食べ過ぎて、10kg増量。
買い物しすぎで破産。
伝統ダンスを踊り、肩を脱臼。
エチオピアの色男にたぶらかされて泣きをみる。
夜は、蜂蜜ワインでやさぐれる。
そして、もう5kg増量。
etc. etc...

 うん、わたしウガンダでよかったよね。きっと。

旅行はその国に住む人と出会うことで、思い入れが一層強くなります。
また来たい国が、またひとつ増えました。
*チマキ…ミックスジュース。バナナとなんかとなんかが層になっている。普通の食堂でこんなおしゃれなジュースがでます。はぁ、素敵。

2012年12月2日日曜日

そうだエチオピアへいこう ~歴史都市ラリベラ②~

ラリベラ2日目の夜は、ウガンダの同期ボランティアの紹介で、お土産屋さんを営むベスファットご家族のお家にホームステイさせていただきました。

一般家庭ではなく、かなり裕福、立派な門構えのお家です。
お家に着けば、お菓子がだされ、ご飯がだされ(もちろんインジェラとワット)、これでもかというほどテンコ盛り。食後にはコーヒーセレモニーが始まります。
床には、庭先でとってきた草木を敷き詰めています。
生の豆を炭火で煎り、杵でついて豆を挽く、そして、小さなカップに注いでもらいます。セレモニーというだけあって、いろいろな決まりごとがあるようで、コーヒーを入れる際にはお香を焚いたりして、なんとも異国情緒溢れるおもてなしなのです。
お腹いっぱい過ぎてもう何も入りませんというところ、コーヒーを飲むとすっきり。またもや出されるポップコーンをおつまみにコーヒーをすすります。
このコーヒーセレモニーセット、特別なお家のものではなく各家庭に必ず備わっているマストのアイテムだそうです。町や村にあるなんでもない食堂の一角にも必ずといっていいほどこのコーナーが見られました。

食事が終れば、伝統ダンスが見られる場所へ家族と共にお散歩。
伝統家屋を模した雰囲気のよいお店。ラリベラの名産である蜂蜜ワインをお供にダンスを鑑賞。これがまた美味しいのです。
お母さん、子供たちも一緒に踊ります。チビッ子たちもいっちょまえに肩をカクカクさせて踊っていました。

エチオピアの人たちが誇りとしている自分たちの文化や伝統をこれでもかというほど一晩の中に盛り込んでいただき、満腹。彼らのホスピタリティー天井知らずです。
次男坊は逃走、末っ子赤ちゃんはお休み中。
5人家族のベスファットさん。
そんな魅力的なラリベラの町ですが、暗い一面もあります。
長い間、都会から遮断され彼らのペースで営まれていた生活ですが、インフラが整い世界各国から観光客がくることで経済感覚が大きく変わったのではないかと思います。
支援や観光整備により電気や水が使えるようになり、立派な学校も建設されて生活は改善されたかに見えます。なのに町で見かける子供たちからは何かが失われているようでした。

町の中を歩いていると次から次へと子供たちがたかってきます。
“Give me pen.”
“Hello, socks.”といった頂戴コールに始まり、

“やらせろ”としつこくまとわり着いてくる子供。
わたし、あなたのお母さんと同い年くらいですよ~。
あまりにもしつこ過ぎて腹が立ち、ペットボトルの入った袋で殴る。

そうかと思えば、母親が蒸発して幼い弟と2人で暮らしている、父親の給料はほとんどなくて、あなたの寄付がないと暮らしていけないと流暢な英語で話しかけてくる子供。

片手に1ドル札を何枚も握りしめ、お金頂戴と詰め寄ってくる子。
1ドルの価値は、日本とは比べ物にならないくらい高価です。

子供の写真を撮ると1ブルよこせとお金を要求。
まだ小学校に入りたてくらいの年頃の子供がこんな調子です。

ペンが欲しいというのも疑わしいものです。ウガンダの子供たちは、ペンを欲しがりません。彼らが言うのは、“ギブミー スウィーティー”です。きっと、ペンを集めて安くで売っているのでしょう。外国人にペンをねだるというのは、なんとも巧妙な技です。

表情も荒んでいて、なんとも痛々しい。

友人によるとホームステイ先のベスファットさんも嘆いておられたようです。子供が観光業に手をだし、簡単にお金を手に入れる。学校へも行かず、稼いだお金でお酒やシンナーをしている。ラリベラの未来が不安だ、と。

子供は被害者でもあります。
先進国から来た経済状況のまったく異なる人たちが、村や子供の様子をみて勝手に同情しモノを配る、お金を配る。それに味を占めて、どんどんエスカレートしていく子供たち。
加害者は、善良な旅行者です。

問題は貧しさにはありません。

これはラリベラだけの問題ではないのかもしれません。小さな町だからこそ問題が凝縮されて見えやすくなっているだけで、大なり小なり自分がウガンダでやってきたことも似たようなものだとも思えます。

豊かに暮らす、ということの意味を突きつけられます。
*あの手この手を尽くしてモノを巻き上げようと果敢に挑戦してきた子供たち。記念写真を撮ってお別れ。

2012年11月30日金曜日

そうだエチオピアへいこう ~歴史都市ラリベラ①~

ここでの目的は、世界遺産にも登録されている岩窟教会を訪ねること。
13世紀に巨大な一枚岩を彫って作り上げた建築群です。
では、さっそく写真を。
クロス型の教会
周辺を掘りぬいて作った建築。もちろん内装も削って作られている。
というように、こんなんどうやって作ったん!?と驚きを隠しきれません。町の中心部にある12の教会は岩をくり抜いたトンネルで全て繋がっているそうです。世界不思議発見!です。

ラリベラは陸の孤島。飛行機なら首都から1時間ですが、陸路での移動は2日がかり。ウガンダなら歩いていればどこかに着きそうな、なだらかな地形ですが、エチオピア北部は断崖絶壁、谷や崖に阻まれてまっすぐ進むことは到底出来ません。、そして乾いた大地、生い茂る緑は見当たりません。そんな世界の果てのような場所に高い文明をもつ王国があったというのですから、謎は深まるばかり。

ここに住む人々にとってこれらの教会は今も信仰の対象です。老若男女問わず、教会を通るときには跪き地面に口付けし、十字をきっていました。わたしが訪ねたのは日曜日。多くの人たちが朝早くから石畳の道を岩窟教会へ向って歩いていきます。白い布を巻く人々の行列とともに歩いているとタイムスリップしたような感覚にとらわれます。その光景は神聖で、何百年と受け継がれてきたであろう信仰の深さを垣間見ることができました。

午後からは、町から離れた山の上にある教会へ。
ここは車が通ることのできない道のため、ミュールというロバと馬を掛け合わせた頑丈な乗り物(?)にのって向います。
傾斜の激しい道を登り、村々を通りすぎていきます。
小麦畑が黄金色で風になびいていました。溢れる緑の中で暮らしてきましたが、久しぶりに寂びた風景を眺め懐かしい気持ちになります。
山道を登ること1時間半、教会に到着すると司祭が外出中ということでご飯にお呼ばれ。
絶壁をくり抜いた場所で、お食事を分けていただきました。

こちらのインジェラは厚めでふかふか。ワットは豆とジャガイモ。素朴で美味しい、エチオピア料理レベル高し。飲み物は、モルト地酒です。うーーーん、こっちは味なしでした。

司祭到着後、教会へ案内していただき見学。
そして、山の天辺から見る風景の壮大なこと。広大な海は航海することができますが、広大な荒野は何者も寄せ付けない毅然としたものがあります。この世界に生まれれば、ただただ自然の前で頭をたれるしかないだろうと敬虔な気持ちになります。

帰り道、小さな村落からすすり泣く人の行列、白い布が巻かれた担架とすれ違いました。村で3歳の子供が亡くなったそうです。村の人たちが向う先は、わたしが訪ねた教会。今も村の人の暮らしの一部であり、信仰の対象であり、命と密接に繋がっている場所です。

そうだエチオピアへいこう ~プロローグ~

4泊5日エチオピアの旅。
行く前に友人からいろいろ情報を収集していました。
最高!という人もあれば、顔をしかめる人もあり。見所は多いのですが、一筋縄ではいかない国という印象。

エチオピアは、アフリカの中で稀にみる植民地化されたことがない国です。一時期イタリアの支配下に置かれたことはあるようですが、占領からは免れています。
そういった歴史背景もあってのことか、エチオピア人は自分たちのことをアフリカ人とは言いません。
“われわれは、エチオピア人である。”
独自の文化、伝統、宗教、言語、文字などをもつ誇り高い民族です。

到着後、市内に行くものの、もろもろのトラブルに振り回され航空会社で立ち往生。早くも出鼻を挫かれ、がっかりのところですがエチオピア人の懇切丁寧かつ手際の良い仕事っぷりに、ウガンダじゃありえないわ、と感心。しかし、残念なことに当初予定していたゴンダール、ラリベラという世界遺産の地2本立ての計画は崩れ、ラリベラ一箇所の訪問に変更。

その後、首都在住のボランティアと落ち合い、あちこち案内してもらいました。行く先々で感動の嵐。小さなカフェでコーヒーを飲めば、やけに美味しくて感動。お釣りを返すときにもう一方の手を添えていて感動し、“Thank you.”と言ってもらい感動。礼儀正しく控え目な対応にすっかりエチオピア人びいき。“エチオピアさいこー!”と連呼しておりました。

何より、旅の醍醐味は食べ物。
これが期待を裏切らない美味しさなのです。
町のレストラン
AMBOはソーダ水。ラベルすてき。
主食はインジェラ。見た目はクレープのよう。テフという粉を使用し、生地を3日ほどおいて発酵させたあとに鉄板で焼いています。酸っぱくて、ふわふわで、味わい深いのです。そこにワットと呼ばれるソース兼おかずをのせ、インジェラをちぎり包みながら食べるのがこちら流。ソースはスパイシーで、これまた絶品。種類も豊富で4泊5日じゃ全てを網羅できないという悲しい事実に気づき、日程が悔やまれます。

夕食は、伝統ダンスを見ながらいただきました。
こちらは、懐石風?いろんなソースが少しずつ盛られています。遅いランチでお腹いっぱいと思っていたのですが、食べずにはいられない。あぁ美味しい~。

伝統ダンスも東アフリカ圏のダンスとはがらっと変わって、メロディー重視。民謡のよう。そして、腰ではなく肩をこれでもかというくらい前後左右に動かして踊ります。
そうそう、人の顔立ちも大違い。肌の色は浅く、アラブ系の鼻筋の通ったすっきりとした顔。美男美女がそこかしこで見られます。

初日にして、異文化の波をがっつり浴び、快いカルチャーショックを受けたのでした。

2012年11月29日木曜日

進展

週末から4泊5日でエチオピア旅行へいってきました。
これが旅行納めということで、じっくりとひとり旅。満喫してきました。
はりきって旅行記! の前に職場での進展をお知らせ。
遊んでばっかじゃないんだよ、というアピールをこめて。

これまで、カワンダ近隣に住む女性に向けてクラフトを通じた収入向上を働きかけてきました。メンバーの顔ぶれも定まり、グループの核となるメンバーも育っています。また、販売先も確保し、なんとかJICA関係者への販売だけに頼らず売り上げを伸ばしています。

今年の1月から月に一度の定例ミーティングを始め、グループを組織化しようとメンバーと共に試行錯誤をしてきました。
メンバーが行政へ提出するための書面を作成し、各地域の代表からレターを集め、何度も何度も県庁へ足を運び、やり直しを繰り返していました。
11月22日、約一年越しでKASICA(Kawanda Silk Craft Association)が正式にクラフトグループとして行政に登録されました。
左から、AISHA, HOPE, LIZ, SHAKIRA
SHAKIRAの子供たちNYONYO, JONAH




これは私が働きかけたことではなく彼ら自身が必要性を感じ、投げ出すことなくひとつひとつの課題をクリアして行き着いた結果です。行政の面倒な手続きをクリアできたのは、自分たちの組合だという当事者意識がなければできないことだと思います。

グループはゆっくりと着実に歩んでいます。

2012年11月14日水曜日

自給自足

ここにきて問題が浮上。
これまで糸を購入してきた工場との取引停止が正式に決まりました。

はぁ~。

理由は、海外への輸出で忙しいから。少量のオーダーなんかに構ってられるかみたいな?
今までも散々待たされてきたのですが、このところは販売先が安定し、こちらも生産量が上がってきたため待ってばかりもいられません。
いつものことながら腹立たしいことを数え上げればキリはないのですが、サッサと見切りをつけて対策を考えております。

名づけて
“自給自足プロジェクト”

NSCには、糸を作るための設備もある、繭も少しだけどある、作り方の猛特訓を受けた優秀なスタッフもいる、メンバーのやる気がある。
これだけあれば十分じゃないですか!

というわけで先週木曜日に座繰り講習兼生産を1日でがぁーーーーーっとやりました。繭は収穫して約4日経過。これ以上放置すると蛾になっちゃうということで、強行スケジュールであります。

無理も無謀もひっちゃかめっちゃかで、とにかく糸は出来上がりました。
女工哀史のような苦味はまったくない、カラッとした気候と女性たちによる完全手作りシルク糸。
蚕を育て、糸作りから商品制作まで、全てわが町カワンダで行われております。

100% Made in Uganda ならぬ
100% Made in Kawanda です。

2011.03 より
*優秀なスタッフのひとりであるホープさん、いや、ホープさま。

2012年11月10日土曜日

新規開拓 その後

以前にご紹介しましたPRUNESマーケットですが、評判上々のため(?)美人オーナーにお願いし、月2回の参加となりました。万歳。

少しアップが遅くなりましたが、マーケットの模様を写真を中心にお伝えします。

われらのブースはこんな感じ。
見所は、この折りたたみ可、持ち運び自由自在の棚でございます。割り箸でミニチュア作って大工さんにオーダー。オリジナルです。
UG SILK のれんも必見

離れてみるとこんな感じ。
手前は花屋さん、奥は大人気の野菜市場
カフェの方はこんな感じ。
ここはウガンダです。   
肝心の美人オーナーショットは!?
任務を忘れて、せっせと商売に走っておりました。
大変申し訳ございません。
気長にお待ちいただければ幸いです。

新商品もちょこまか出してます。
チテンジ・ピアス(東アフリカのプリント生地)

お花のパフホルダー
朝から活気溢れるマーケットにお客さんの財布の紐も緩みっぱなしとみえて、相変わらず売り上げ好調。わたしも、メンバーの目を盗んで個人的なショッピング。いろんな種類のチーズやらピクルス、焼きたてパンなんかもあって、ご満悦。しばしムズング・タイムをエンジョイしました。

2012年11月5日月曜日

おすすめ

映画みました。
感化されやすいわたしは、すっかり余韻にひたっております。

WAR DANCE
ウガンダ北部紛争地域の子供たちを題材にした映画。
全国音楽コンクールへの出場に向けて奮闘する子供たちとその子達の背景を追ったドキュメンタリーです。北部の部族の音楽とダンスがたんまりと盛り込まれていて、リズムと躍動感にドキドキ。

平和で呑気な暮らしをしていて、忘れがちなウガンダの一面。
これが全てじゃないけど、これもある。

秋の夜長によろしければ、ぜひ~。

2012年10月31日水曜日

秘蔵レシピ

手持ちの日本食を消化すべく、ラストスパートをかけています。
もったいなくて食べれなかった、あんなものこんなもの。冬眠前のリスのように長年、食品棚に溜め込んでいました。賞味期限はとっくの昔に切れ1年を経過したものもちらほら。
しかし日本の保存食は素晴らしい。賞味期限なんてなんのその。読んで字のごとくあくまでもの期限ですから。しかも味だって悪くないし!

帰国を前にして、いつまでも神棚に奉っておくわけにもいきません。大胆にも毎日のように日本食を食べる日々。気分はもうニッポン。
そんな普段食も一工夫ありなのです。

ウガンダの日本人ボランティアはたくさんいます。そして、だいたい日本食に飢えています。
凝り性な人は知恵と手間と能力を振り絞って、その飢えから逃れています。
ある人は、粉をブレンドしうどんを打ってみたり、納豆菌育ててみたり。またある人は、自ら粉を捏ねフランスパンやシナモンロールを焼いてみたり。一か八かで卵かけご飯に挑戦してお腹こわしてみたり。日夜、涙ぐましい努力の末、忘れかけた日本の家庭の味もしくはコンビニの味を再現しているのです。

わたしはといいますと食いしん坊ではありますが、そういった情熱に欠ける怠惰な人間でありまして、人様の作った料理の匂いを嗅ぎつけお相伴にあずかっています。

先日、友人が作ってくれた“冷やし中華”。いま、流行ってます。
怠惰なわたしでも、お家で再現できる。そして、ウガンダの気候にもジャストフィットのレシピ。とんだ隠し技を大公開。
さて、ご紹介しましょう♪
ウガンダではトマトは調味料
玉ねぎは赤玉ねぎが主流
緑の野菜はあんまり見かけない
材料:パスタ(ウ)、玉ねぎ(ウ)、ワカメ(日)、卵(ウ)
調味料:重曹(ウ)、トマト(ウ)、しょうゆ(ウ)、お酢(ウ)、ごま油(ウ)、砂糖(ウ)、塩(ウ)、柚子胡椒(日)
*日…日本産、ウ…ウガンダ産

1.麺をゆでる。
早くも、こちらがポイントです。
パスタを茹でるときに、なんと重曹を大匙2杯くらいいれるのです!
重曹を入れると、いつものパスタが中華麺に早変わりなのです。

後は、フツーなので割愛。

できあがり!
うっかり食べ始めてしまった図
とにかくお試しください。茹でているときに鍋から漂う湯気は、中華麺のあの匂いなんです!
目を閉じてごらん、です。

たまには人様の役に立つ、こんなお得な情報もアップしてブログ読者を増やそうと思います。追いつけ、追い越せクックパッド!!!

2012年10月28日日曜日

小旅行

金曜日は祝日、そしてクラフトマーケットもなし!
ということでたまには国内を満喫するべく1泊2日小旅行へと繰り出しました。

行き先は、セセ諸島。
車も人も押し込み出港。
ビクトリア湖に浮かぶ島。湖自体が九州と同じ大きさということなので、日本人の感覚では海といえるかもしれません。
ビクトリア湖に面する街エンテベからフェリーに乗って3~4時間で着く島です。
400km平米らしい。

ウガンダではリゾート地として名高く、都会の喧騒を離れ湖畔でゆっくりと時間を過ごす場所です。しかし、我々のお財布事情により湖畔のリゾートホテルは無視して
「安い宿に連れてって~。」
と地元民に紹介してもらい案内されたのは、湖畔から離れたタウンの一角にあるお宿。本土と変わりのない村の様相。遠目に湖が見えることが目新しいっちゃ、目新しい。
宿からの景色
2日目はガイドさんを雇って島案内をお願いしました。泊まれなかった、泊まらなかったリゾートホテルのビーチを散策し、その後は漁村を見学。
ビーチサイド
漁村

漁村ランチ・でっかい魚
関西人としては、見るもの全てが琵琶湖を彷彿とさせて新鮮味に欠ける。またウガンダ慣れしてしまいやっぱり新鮮味に欠ける。そんな複雑な想いを抱きながら、あっという間に帰りのフェリーの時間となりました。

滞在時間を上回る移動時間の末にカンパラ着。
やっぱリゾート地は、お金と時間に余裕がないとダメね、と再確認した次第です。物足りなさはあったものの、情報の少ない土地へ旅行へ行くドキドキ感はよいものです。もっと国内を巡りたいという野望がふつふつと沸いてきました。

2012年10月23日火曜日

新規開拓

第一、三日曜日に参加しているクラフトマーケットがメンバーの間でも定着してきました。当番を決めたり、商品をチェックしたりと雑務諸々もお任せっきりで、最近はわたしが手を出すことも少なくなってきて良い傾向です。
以前に決行したマーケット開拓で一度自信喪失し、なんだか活気が失われていたのですが、マーケットで直接買ってくださる人たちを見ることで、徐々に雰囲気を盛り返してきました。売れないことと売れることの両方を知り、売れることの有難さが身に染みて、自分たちの商品を購入してくれる貴重なお客さんを大切にする意識が私自身にも、メンバーにも生まれたように思います。恥ずかしいことに、今更ですが。

そして、新たに別のカフェで行われているマーケットにも参加できることになりました。
万歳。
その名も“PRUNES”
オーナーはベルギー人(という噂の)女性で、ちょーーーー美しいです。ペネロペ・クルスという女優さんにそっくり。

彼女の周りだけ別世界。カンパラの喧騒もなんのその。そこはおフランスかと思わせるファッショナブルさ、エレガントさなのです。ちなみに子持ち。男性のみなさま残念ですね。
マーケット出店の交渉をするのも、いろんな意味でドキドキでした。ですが、こちらでありがちな高圧的な態度もなく、穏やかで笑顔も素敵なのでした。大絶賛。

先週土曜日に初めてマーケットに参加してきたのですが、大盛況!活気溢れるマーケットで、記録的な売り上げとなりました。残念なことに、月一度だけの参加と言われていて、次回までしばらく時間があいてしまいます。
しかし、
こんなチャンスを見逃すわけにはいきません。
現在、最低月2回参加したいと交渉中。

てんやわんやで写真をとることをすっかり忘れていた、わたし。
次回は、こっそりオーナーを隠し撮りしつつマーケットの様子をレポートいたします。

2012年10月20日土曜日

マトケ

同僚ハリエットとの会話。

“まさこ、今日の夕食は何?”
“お米。”
“マトケは?”
“ううん。お米。”
“マトケは?”
“だからー、お米やってば。”(イラッ)

このやりとりを3度ほど繰り返し、方向転換。
“本当はマトケ食べたいんやけど、マトケ買うお金がないねん。。。”
と大嘘をついて、この不毛な会話を切り上げました。

帰宅準備にはいった頃。
ハリエット嬢がおずおずと差し出す袋の中には
でっかいマトケ!。
しかも彼女の農園で採れた鮮度抜群の品。
計6本。3本は既に胃袋。
午後の会話はこの伏線だったのです。
イラッとして、ごめん!

他の同僚もみんなお裾分けしてもらって、今晩はみんなマトケ・ナイト。
わたしの夕食も、お米を撤回し、ウガンダソールフードのマトケ+Gナッツソースで自作ウガ飯を堪能しました。写真なし、あしからず。