2011年8月31日水曜日

訃報

先日、別の国に派遣されている同期隊員の友人が交通事故で亡くなりました。
ブログで書くべきかどうか迷ったのですが、ここに書き残すことを決めました。

昨日と今日にたいした差はないと思っていました。けれど、彼女が亡くなり、昨日と今日は全く違うものになりました。ご家族にとって、彼氏にとって、友人にとって、彼女に関わる全ての人にとって、その日を境に変わってしまいました。

無念で残念で悔しくてなりません。

ご冥福をお祈りするとともに
生きて無事で帰る。
そのことだけはしっかりと果たそうと思います。

2011年8月23日火曜日

小噺

このところ、ずぅーーーっとおでかけネタが続いており、世間の冷たい目が気になりだしたのでお仕事の様子もご報告させていただきます。
改めてご紹介。わたくし、リゾート隊員ではなく、蚕の世話隊員でもなく、手工芸隊員として養蚕センターに派遣されています。

主な業務は、朝と夕の餌やり。他の時間にシルクを使った新アイテムの制作、近所や隣町への出張編み物教室、物ができれば販売先への営業。そうそう、糸を購入する農家とのやりとりも含まれてます。文字にすると多岐に渡りますが、これらをのんび~り、じっく~~り取り組んでおります。

そんなある日の出来事。
同僚の一人に編み物エキスパートと呼べる抜群の理解力と技術力を誇る女性がいます。日本の本に書かれている編み図を教えたところマスター。ほんとに優秀。
その彼女、黙々とスカーフを編んでおりました。これまで本の中から柄を引用していたのですが、今回は見慣れない不思議な模様が編みこまれています。何度も書き直されたデザイン画もかたわらに置かれています。ウガンダ人だからこそ持ってるセンスとか伝統柄とかが見れるんじゃないかと興味津々のわたし。
「おもしろそうやな~。どんな柄になるん?」
しげしげと眺める、わたし。
縦に広げていたものをコッチといって横に広げる彼女。。。

そこに現れた柄はナント!
SILK
の文字。

シルクのスカーフにSILKの文字柄。

この技術力、完成度、すごい。すごいよ、すごいんだけどさ。。。
なんて説明したらよいのかしら。
けど、面白い。おもしろすぎるやろ、フラビア。

2011年8月19日金曜日

ウガンダ・サファリ

アフリカ=サファリ。動物の王国。っていうイメージありませんか?
もちろん私はその口で“生き物地球紀行”とか見て、アフリカの広大な大地に思いを馳せておりました。そして、この度ウガンダにて、その夢が実現。
ウガンダ北部に位置するMurchison国立公園へ行ってきましたー!

ここはサファリと共にMurchison Fall という滝でも有名。
雨季のせいなのか、とてつもない水量におったまげました。
ウガンダは水力発電っていう意味も、これなら合点がいきます。
ここは、かの有名なナイル川でもあります。ボートトリップで川から野生動物を見ることもできます。例えば、カバ。
ワニ。
象も発見。
間違いなく野生のはずなんですが、●ィズニーランドのアトラクションに乗ってるような気分。悲しきかな日本人。大人の楽しみとして、動物を眺めながらビールを一杯。

なんと、こちらはウガンダンビール”Nile Special”。ナイルonナイル!それが言いたいがために買ってしまいました。味は。。。よくわかりません。

陸でもサファリ。
森を抜けるとなだらかな丘が延々と続くサバンナ地帯。
こちらにもいます!
牧場のようにバッファローが
 奈良公園のようにウガンダ・コブが
キリンが馬のように駆け回る。キリンって走れたんやぁ~って感心。しかもあの足の長さで走るもんだから、とっても速い。
またもや象が見れました。道路を悠々と横断する象の群れ。
ライオンも。。。そしてライオンを囲む面々。


ウガンダ満腹サファリの旅。怒涛の1泊2日ですが、存分に楽しめました。
しかし、帰り際に友人の一言。
「任地の方が、サファリかも。。。」
そう、ウガンダは地方に行けばどこもかしこ家畜だらけ。放牧。
国立公園の美しさがかえって、テーマパークっぽく感じてしまう、そんな非現実的な世界でした。

2011年8月8日月曜日

ハシビロコウ

今度は湖。
動物園に勤務する隊員の企画でビクトリア湖ボートトリップに参加しました。
無類の鳥好きである彼女、膨大な種類の鳥がいるウガンダで難なく鳥の名前や種類を解説してくれる最強のガイドです。このツアーは彼女が愛する鳥“ハシビロコウ”の野生を観察することが目的。

ハシビロコウは、アフリカの一部地域、湿地帯にしか生息ていないそうです。しかも群れることがないため見つけることも難しいということでした。湿地を進むため、こんな細長いボートで出発。
蓮や水草を掻き分けて、進むこと少々、ハシビロコウ発見!
私たちを含めて3艘の舟が近寄っているにも関わらず逃げる気配なし。周りのことなど気にも留めず、無心(?)で何かを見つめておりました。それを固唾を呑んで見つめる愛鳥家の皆様。
バサバサっと大きな羽を広げたかと思うと水中へ突進。獲物を狙っていたようです。獲物は取り逃がしてしまい、ギャラリーのため息。みんなの熱い視線は気にも留めず、ぬすっと佇むハシビロコウ。
他の鳥たちよりも、どうも擬人化したくなる飄々とした姿。美しい羽色ってわけでもないんですが、人の心を惹きつける何かがあるようです。

ビクトリア湖は、この他にチンパンジーを保護している島やパイナップルの島などなど魅力的なコンテンツがいっぱい。国内もあなどれません。

2011年8月5日金曜日

ザンジバル リゾート篇

ストーンタウンとは反対側の海岸沿いはリゾート地として、ホテルがたくさん軒を並べています。
お泊りした宿は、日本人のオーナーでお食事にお寿司や刺身など日本食が食べれることで有名。関係ないけど、警備員さんがマサイの戦士というのも、私のハートを鷲掴み。マサイ族、マジでかっこいいんです。装備は短刀だけ、シルエットが彫刻的、愛想を振りまかずストイック。たまにママチャリに乗ってるマサイさんを発見したりして、これも意外性に心打たれます。一緒に写真撮らせてください、って言えないオーラがでていて、アイドルを見守るファンのようにこっそり見ておりました。

話は戻り、ビーチに沿って並ぶロッジ。正面は真っ青な海!砂浜は真っ白で、きめ細かく、雪みたいなんです。生き物の保護色も白。いや~、美しい。


そんな海を堪能すべく、ドルフィン・ウォッチに参加しました。
早朝に宿を出発し、小さな舟で出港。

少し沖合いに出ると、いる!イルカがいる!!
見つけたところで海に飛び込み、イルカと一緒に泳ぐという趣向。。。なのですが、
わたくし生まれも育ちも内陸。海で泳いだ経験は少々。一抹の不安を感じつつも、根拠のない自信+イルカと泳ぐワタシ、のイメージに突き動かされ、ダイブっ。
あ"っ、やっぱり泳げない。ゴボゴボともがくワタシ。潜れっ、親切心から頭を押さえつける船頭さんと小競り合い。舟の縁にしがみつき、イルカを見ることなく水揚げ。
2回目はうまくいくんじゃないかとトライしてみたものの、結果は同じ。3度目は船頭さんからストップがかかりました。その後イルカの背ビレだけは、しっかりウォッチング。せめて水族館みたいにジャンプしてくれないかなぁ~と期待してみたものの野生にそんなサービス精神はないようです。

海は泳ぐものではない、見るものである。というわけで、ビーチでゴロゴロ、砂浜トボトボ、水際を満喫しました。

1週間旅行記はこれにて終了。それにしても帰る先がウガンダというのは、これまた不思議なものです。

2011年8月4日木曜日

ザンジバル ストーンタウン篇

ルワンダを後にし、ザンジバルへ向けて出発。
キガリから飛行機でダルエッサラーム、そしてフェリーでザンジバルへ向かいます。
実際に乗ったのは別の船でしたが、港に停泊していたのは、、、日本のお下がりフェリー(笑)なんとも親しみが湧いてきます。
 フェリーに乗ること1時間半、デッキからザンジバルの町並みが見えてきます。
美しい海とアラブの影響を強く受けたストーンタウンと呼ばれる街が見所。異文化の香りがプンプン漂っていて、ぁあ外国にいる~と潮風に吹かれながら、うっとり。道行く人の顔立ちも彫が深かったり、肌の色が浅かったり、イスラム教の人が多かったりと、何やらウガンダとは一味違います。
入り組んだ路地を歩くとマーケットが現れ、そうかと思うと行き止まりだったりして、子供の頃憧れた迷路のような世界に入った気分になります。

それに、あちこちでオレンジの屋台が現れて爽やかな薫りがしてくるのも素敵。
そしてそして、 海があるということは!やっぱり(?)海鮮!!

 しっかり魚市場もあって、競りが行われていました。
この魚たち一体どこへ行くかというと、、、
でで~ん。このように夕方ころから海岸沿いの公園に海鮮屋台村が出現します。
長い間口にすることのなかった海の幸に感動するのはもちろんのこと、とってもおいしい料理を発見。
その名も“ザンジバル・ピッツァ”。簡単に申しますと海鮮お好み焼き。クレープ状に広げた生地に海鮮ダネをのせて、いろんなスパイスで味付け。激ウマ。ザンジバルで花嫁修業をしたい、いや、しなければ、と思わせる、そんなハイグレードな逸品です。
そんな美味しい食事と背後に広がるこの光景。
ご馳走様です。


2011年8月3日水曜日

ルワンダ ジェノサイド篇

ここに来るまで私がルワンダに対して抱いていたイメージは、ジェノサイドがあった国、教会で多数の人が殺された、という実に些細なものでした。
首都キガリには、ジェノサイド・メモリアル・ミュージアムがあります。
写真、映像、テキストなどで最も虐殺が激しく行われた1994年、そしてその前後も合わせ丁寧に解説されています。
1994年、当時の大統領暗殺をきっかけとしてフツ族によるツチ族の大量虐殺が一気にひろがりました。殺されたのは100万人以上とも言われています。その期間、たった100日。空爆が行われたわけではありません。人が人を鉈や銃や手榴弾、あらゆる方法で直接的に殺害した結果です。ルワンダ人口の10~20%がこの虐殺で命を奪われたと言われています。

その後、友人の繋がりでルワンダ隊員を頼り、キガリから1時間ほど離れた村にある教会を2つ訪ねました。1つはニャマタという場所にある教会。ここでは1万人が殺されています。生存者は7人。
外から見た教会の印象は特に大きいというわけではありません。レンガ建ての教会。入り口の金属製の扉は手榴弾で捻じ曲がり、人が通れる大きさに広がっています。そこを通り抜けると祭壇とベンチが並んでいます。そのベンチの上には山積みの衣服。ベンチに置くことができなかった衣服はホールのような場所にどっさりと敷き詰められています。肉体の入っていない衣服。そこにあるボリュームは圧倒的でした。この場所に、どれだけの人が逃げ込み、どれだけの人が折り重なっていたのか、あまりにも非現実的で、現場にいるにも関わらず想像することができませんでした。
地下には、たくさんの頭蓋骨と大腿骨らしきものが納められています。明らかに子供であろう小さな頭や、大きな傷を負った頭蓋骨。

そして、もうひとつの教会へ。
ここでは5千人以上が殺害されたそうです。
ここでも、やはり衣服が壁面、天上の梁からぶら下がり、ベンチの上に積み重ねられ、あらゆるスペースを埋め尽くし、圧迫しています。教会の前方には棚があり、教会に逃げ込み一時の暮らしを凌ぐための生活用具が積み重ねられています。その側には殺害で使われた凶器、こん棒や鉈、大きな木槌などが無造作に転がっていました。この教会の地下にも遺骨が納められています。

殺害されたのは一般市民、殺害したのも一般市民。その殺害の光景などは一部語られていますが、あまりにもむごく、どのようにそこまで憎しみ狂気に陥ったのだろう?と。

町を歩いてすれ違う人たちは、日常の暮らしを営んでいるようにみえます。けれど、そこに隠されている深い深い傷に茫然とします。この場所では無傷の自分は何ひとつわかることなどないように感じます。ただ、きちんと知ることだけは怠らないように、今はそう考えています。

2011年8月2日火曜日

ルワンダ 生活篇

ルワンダ&ザンジバル旅行から帰国しました。
あまりにも最高の旅でしたので、何回かにわけて自慢しようと思います。お時間ございましたら、お付き合いくださいませ。

最初に訪れたのはルワンダ。飛行機で、たった45分の外国です。
ルワンダと言うと、“ホテル・ルワンダ”で有名かもしれません。わたしは映画を観ていないので何とも言えませんが、ツチ族の大虐殺があった国です。そんな風に切り出すと、恐ろしい国のように思われてしまいそうですが、大違い!
ゴミが落ちてない、道に穴が開いていない、歩道がある、車が車間距離をあけて走っている、バイクはヘルメットを被っている、などなどウガンダから行くとカルチャーショックが至る所に。

街の景観のよさは、この国の厳しさからくるものだと言われています。まず、ビニール製の袋は使用禁止。なので、空港でビニール袋を持っていると没収されます。スーパーで買い物すると紙袋。ゴミのポイ捨て禁止。すんごいな~とひとしきり感心。街にでても治安はいいし、ボッタクリもなし。外国人に絡んでくるうっとおしい勧誘もなく、すこぶる快適な国です。ちょっと訪ねただけで、こんなこというのもナンですが、住むならルワンダ!とでも叫びたくなります。そして。。。なんといってもご飯がおいしい!
生活の柱は衣食住。中でも食に対する執着は人一倍強いのでフューチャーします。
フランス領だったこともあるのか、ウガンダと同じような構成でありながら繊細な工夫が随所にみられます。
例えば、コチラ。
ウガ飯でお馴染みワンプレート。炭水化物の盛り合わせにソースと呼ばれる煮込み料理をぶっかける。ですが、注目していただきたい。なんとお肉とソースは別々に作られております。ソースはソースの味付け、お肉はお肉で別の調理方法。しかもスープが付いてくるんです。すごいですよね。って、こんなに感動できるのはウガ飯にすっかり飽きているからです。写真からはわかりにくいですが、繊細な料理なんですよ、ほんとに。ついでに、ファンタはシトロン味という柑橘系のさっぱりした大人のお味。これもウガンダでは飲めないんですよね。気がつけば、何もかもウガンダ目線だわ。。。