2011年8月3日水曜日

ルワンダ ジェノサイド篇

ここに来るまで私がルワンダに対して抱いていたイメージは、ジェノサイドがあった国、教会で多数の人が殺された、という実に些細なものでした。
首都キガリには、ジェノサイド・メモリアル・ミュージアムがあります。
写真、映像、テキストなどで最も虐殺が激しく行われた1994年、そしてその前後も合わせ丁寧に解説されています。
1994年、当時の大統領暗殺をきっかけとしてフツ族によるツチ族の大量虐殺が一気にひろがりました。殺されたのは100万人以上とも言われています。その期間、たった100日。空爆が行われたわけではありません。人が人を鉈や銃や手榴弾、あらゆる方法で直接的に殺害した結果です。ルワンダ人口の10~20%がこの虐殺で命を奪われたと言われています。

その後、友人の繋がりでルワンダ隊員を頼り、キガリから1時間ほど離れた村にある教会を2つ訪ねました。1つはニャマタという場所にある教会。ここでは1万人が殺されています。生存者は7人。
外から見た教会の印象は特に大きいというわけではありません。レンガ建ての教会。入り口の金属製の扉は手榴弾で捻じ曲がり、人が通れる大きさに広がっています。そこを通り抜けると祭壇とベンチが並んでいます。そのベンチの上には山積みの衣服。ベンチに置くことができなかった衣服はホールのような場所にどっさりと敷き詰められています。肉体の入っていない衣服。そこにあるボリュームは圧倒的でした。この場所に、どれだけの人が逃げ込み、どれだけの人が折り重なっていたのか、あまりにも非現実的で、現場にいるにも関わらず想像することができませんでした。
地下には、たくさんの頭蓋骨と大腿骨らしきものが納められています。明らかに子供であろう小さな頭や、大きな傷を負った頭蓋骨。

そして、もうひとつの教会へ。
ここでは5千人以上が殺害されたそうです。
ここでも、やはり衣服が壁面、天上の梁からぶら下がり、ベンチの上に積み重ねられ、あらゆるスペースを埋め尽くし、圧迫しています。教会の前方には棚があり、教会に逃げ込み一時の暮らしを凌ぐための生活用具が積み重ねられています。その側には殺害で使われた凶器、こん棒や鉈、大きな木槌などが無造作に転がっていました。この教会の地下にも遺骨が納められています。

殺害されたのは一般市民、殺害したのも一般市民。その殺害の光景などは一部語られていますが、あまりにもむごく、どのようにそこまで憎しみ狂気に陥ったのだろう?と。

町を歩いてすれ違う人たちは、日常の暮らしを営んでいるようにみえます。けれど、そこに隠されている深い深い傷に茫然とします。この場所では無傷の自分は何ひとつわかることなどないように感じます。ただ、きちんと知ることだけは怠らないように、今はそう考えています。

2 件のコメント:

  1. 虐殺から生き延びられた人もルワンダにはいるから、生きた歴史だね。その残った光景を見たときに、まっすぐ立っていられたふじっこをすごいと思う。さぢきちは状況をきいただけで目の前じんわりにじんでもうた〜でも知っておかないとね。って思う。帰って来たら、連れてってね〜

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  2. しっかりと見ることは避けていたかな。異様な状況で、どっかスイッチを切っておかないとグッと重くて。ぶら下がってた服とかもディテールは見ないように、ガイドさんの姿と言葉に意識を集中してた。
    現場が、展示ではなくて、そのまま現場として残っている感じやった。意味づけされたものは何もなくて、モノが痕跡が、そこにただあった。だから一層、心の中で増殖していくのかもしれん。

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